港区障害者(児)とともに育つ会

会長メッセージ

港区障害者(児)とともに育つ会 顧問(相談役)磯﨑 明美

1973年11月、港区障害者(児)とともに育つ会の前身である港日曜学校が愛知県障害者児の不就学をなくす会の枝葉の会として発足しました。
1979年、養護学校義務制をかちとった日曜学校運動を経て、数々の思いや願いの要求実現に取り組んできました。

学校卒業後の進路の一つとしての作業所づくりに、イルカ作業所、しおかぜ作業所、うろじの家、わーくす昭和橋という通所授産施設や通所更生施設の法人認可の運動に取り組みました。また地域との交流として、チャリティコンサートやバザー、出店でのふれあいを続けました。また、まちづくりに参加し、地域に障害者用トイレの設置や地下鉄にエレベーターの設置などをかちとりました。港区との懇談、市との懇談で様々な要求を実現してきました。

障害を持つ人の人権保障、すべてのハンディをもつ人にふさわしい生活ができる施策の充実、家族や関係者の思い、願いを受けとめ、港区の障害者運動の発信基地として、ひきつづき尽力していきます。また、幅広い市民との協同を得て、「障害者権利条約」の具体化をめざす運動をつよめていく所存です。

「港区障害者(児)を育てる会」から「港区障害者(児)とともに育つ会」へ

名古屋市港区に「港区障害者(児)を育てる会」が誕生して40余年。障害者(児)の生活と権利を守り、だれもが暮らしやすい地域づくり・街づくりを目指して、運動を進めてまいりました。2014年、日本において「障害者権利条約」が発効したことを受けて、これまでの40余年の運動を継承すると共に、障害者自身が権利の主体としてより運動を発展させていくために、2015年4月の総会にて「港区障害者(児)を育てる会」から「港区障害者(児)とともに育つ会」と名称変更いたしました。今後とも、ご理解、ご支援賜りますようよろしくお願いいたします。

「ともに育つ会」も港区で障害者運動を始めて50余年の年月が過ぎました。
この間、どんな重い障害をもっていても、地域社会の中で人間らしく生きる生活とその権利を守る運動を、障害者、家族、関係者と共に築きあげてきました。私たちの運動により、いくつかの法制度の改善はあったものの、障害をもつ人の人権はまだ保障されていません。

「ともに育つ会」は障害を持つ人、家族、関係者だけにとどまらず、多くの方々と協力共同して、より大きな「人権の輪」を広げていきたいと考えています。ぜひ「ともに育つ会」の運動をご理解いただき、多くの方々にご入会いただきますよう、よろしくお願いいたします。